雨森芳州先生墓

雨森芳州は滋賀県で生まれ、医学と儒学を学んだ。長崎で中国語を、釜山で韓国語を学んだ。22歳より対馬藩に仕官して、朝鮮外交にあたった。儒学の中でも、朝鮮の(カンハン)に学んだ藤原惺窩(1561-1619)がおこした朱子学派で、同門には新井白石がいた。白石とは外交文書における「王号」問題で激しく争ったことで知られる。

芳州の著書のうち、「交隣提醍」は隣国とのつきあい方について述べた本であるが、今でも通じる内容を持っているものとして貴重なものである。

墓は長寿院の裏山にある。一族の墓となっていて、芳州の左隣「小河孺人墓」は芳州 の奥さんの墓である。小河家の出身で、儒教式に夫婦別姓のまま墓を作ったわけである。芳州の墓は整備しているが、そのまわりは竹藪になっていて、林の中に江戸時代から明治にかけての墓が埋もれている。

芳州の墓(中央) 明治時代の一族の墓 交隣提醍(影印本)

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