徳寿宮(덕수궁:トクスグン)

徳寿宮はソウル市庁の前にある。豊臣秀吉の朝鮮侵攻の際、この付近だけが焼け残った。避難していた宣祖(선조:ソンジョ)が漢城に戻ってきたときに、他の王宮(景福宮昌徳宮昌慶宮)は焼けてしまい使用不能であった。そこで、ここにあった月山大君(월산대군:ウォルサンデグン)という王族の家を臨時に王宮とした。その後他の王宮が復旧したため、ここは王族に戻されたが、20世紀に入り、再び王宮として整えられた。
 
日本の勢力が伸びてきて、王妃を殺されロシア公使館に避難していた王、高宗(고종:コジョン)が「王」から「皇帝」となって再び王宮に戻ったときに、それまで生活していた正宮・景福宮ではなく、ロシア公使館の麓にあるここに移ってきたからである。そのときは慶雲宮(경운궁:キョンウングン)と呼ばれたが、高宗が退位させられてから、徳寿宮という名前に変えられた。
 
当時の徳寿宮は現在よりも遙かに広かったが、日本時代に縮小された。徳寿宮は1904年に火事で焼けているが、焼け残った重明殿(중명종:チュンミョンジョン)も現在は王宮の外、貞洞劇場の裏にある、
 
狭いところに作られた王宮のため、他の4つの王宮とは大分雰囲気が異なる。王宮の建物は正門から、南北に一直線に並ぶのが基本であるが、東西に並んでしまった。王宮で唯一の西洋建築もある。

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