景福宮(キョンボックン:경복궁)

景福宮は李王朝の5つの王宮の中の正宮である。東京ドーム9つ分の広さがある。1392年、李成桂(イ・ソンゲ:이성계)が高麗王朝を倒して王を継いだ。高麗王を継いでいるが、新たに国を建てることとして、国号を朝鮮とした。これにより李成桂は朝鮮初代王(太祖)になった。1393年に都を漢城(ソウル)に移したときに最初に作られた王宮である。しかし、直後に相次ぐ王子の乱など不幸なことが起こったため、李成桂は景福宮を離れて、もとの都の開城に戻ってしまった。

再再び李成桂は漢城に戻ってきたが、景福宮よりも昌徳宮(チャドックン:창덕궁)で好んで生活するようになり、次第にそちらで公式行事もそちらで行われるようになった。

1592年、豊臣秀吉の朝鮮侵攻の時に漢城全体が火の海となった。王(宣祖)は漢城から避難して無事だったが、王族男子のうち2人は日本に連れて行かれた。景福宮も燃えたが、加藤清正軍の手によるものかははっきりしない。いずれにせよ景福宮は不吉な場所と言うことで放棄されてしまった。

再び王宮として日の目を見るのは19世紀、高宗の時代になってからだった。迫り来る外国勢力と国内で弱まった王権を強めるためであった。しかしそれも長くは続かなかった。1896年、明成皇后(閔妃)が日本人の手によって殺されたことをきっかけに、高宗は徳寿宮(慶雲宮)に移っていったからだ。いずれにせよ今見られる景福宮はこの時期に再建された姿である。

1910 年、大韓帝国が日本の植民地になると、多くの建物が撤去された。現在光化門などの復元事業が行われている。

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