貞洞周辺
旧ロシア公使館

徳寿宮(덕수궁:トクスグン)のある貞洞(정동:チョンドン)。最も海抜の高いところに「旧ロシア公使館」が建っている。明成皇后(閔妃)が殺害された後、1896年に高宗(고종:コジョン)が避難したところだ。1年間ここに止まった後それまでの景福宮(경복궁:キョンボッククン)から徳寿宮(高宗退位までは慶雲宮(경운궁:キョンウングン)と呼ばれる)に移り、皇帝となり内外に国の独立をアピールした。ロシア公使館以外にも米国、英国などの公使館があって、日本公使館から離れているために日本を牽制するのに都合が良かったからだ。

1905年、高宗は徳寿宮で第2次日韓協約を結ばされた。締結した建物は、現在徳寿宮の外、「貞洞劇場」の裏になっている。ここは韓国近代教育の揺籃の地で、「培材学堂」(배제학당:ペジェハクタン)「梨花学堂」(이화학당:イファハクタン)など今に続く学校が王らよって作られた。貞洞教会は教育界を支えたり、韓国の近代化に大きな役割を果たした。

徳寿宮の裏には植民地時代に建てられた「救世軍」(구세군:クセグン)の建物があり、その並びの徳寿初等学校の中には植民地時代の放送局、「京城放送局」跡を示す記念碑がある。

日韓協約締結の建物(貞洞劇場裏) 貞洞教会 放送記念塔

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