弥勒寺(미륵사:ミルクサ)
西石塔 西石塔のサル(?)像 解体中の西石塔(2007年12月) 基檀部まで除去(2010年7月)

弥勒寺は百済武王(무왕:ムワン)の600年頃に創建された寺である。伝説では、武王が王妃である善花公主と一緒に若いときに住んでいた獅子寺へ行こうとしたとき、弥勒寺の場所にあった池の中から弥勒三尊があらわれた。王妃が、池を埋めてここに伽藍を作るべきだと言って、獅子寺の知命法師に相談したところ、法師は夜で山を削り、池を埋めて3つの伽藍を作ったという。伽藍が3つというのは、弥勒が三回の説法で人を救うということに因んだという。建設の時は、義父である新羅真平王(진평왕:チンピョンワン)が応援をよこしたという。なお、武王と善花公主のなれそめは、薯童伝説として知られているが、これと類似した話は日本を含む東アジア一帯に見られる話である。

ところで、寺の創建に関しては、2009年西塔第1層心柱から発見された舎利具の中の奉安記によって、はっきりした。奉安記は全193字からなり、これによると、弥勒寺の創健者は、武王の王后(佐平沙乇積徳女)で、創建時期は己亥年正月廿九日(639年)であることがわかった。なお、建築の様式は随で流行したもので、三塔三金堂様式とか多院式と呼ばれる。この形式は、日本には入ってこなかった。

弥勒は兜卒天で仏法を説法しているが、釈迦入滅後56憶7千万年後に人間世界に降りてきて成仏し、すべての衆生を救済するという。弥勒信仰は大きく2つに分かれる。一つは修行の後、弥勒のいる兜卒天に上がっていき、弥勒が降りてきて3回の説法をするときに一緒に救済されるというもの。もう一つが、釈迦入滅後56憶7千万年後、弥勒が理想的な国王いるところに降りてきて、3回の説法で282億人の人々が救済されるというというものである。

伝説からすると、弥勒がこの地に降りてきて新羅などとの戦いを終えて、平和な世を迎えたいという考えが強かったようである。このような信仰は不安定な世の中で流行し、まさにそのような時代である7世紀前後に、新羅百済、そして日本で流行した。

したがって、寺は仏教の力によって新羅の侵攻を防ごうとしたと考えられている。そのため百済が滅びるまで重要な役割を演じた寺であった。寺は朝鮮時代まで続いていて、高麗時代と朝鮮時代のオンドル施設が発見されている。

実際、寺は広大な土地に3つの伽藍、金堂と3つの塔で出来ている。金堂の床面には空間が作られていて、湿気を防ぐためのものと考えられているが、弥勒がとどまれるようにしたという解釈もある。中門から伽藍へいく途中の左右には池が掘られる(現在の池は発掘・復元)。

奉安記 金銅製舎利具 金銅製香炉

発掘によって、これまでに韓国で発見された中では最も大きな鴟尾や(写真)、百済時代の瓦も多く発見されている。軒瓦は釉薬を使っているが(写真)、このような軒瓦はここだけのものである。瓦の色は3種類からなっていて場所によって使い分けられていた。

西石塔は、弥勒寺に現存する唯一の塔である、が近年の発掘調査で、伝説通り池を埋めて作ったことが分かった。塔の下には、石を入れて版築で付き固めていたが、結局土台が沈下してしまったことと、あまりにも複雑な構造のために崩壊につながった。日本時代に崩れた部分をセメントで覆って補強したが、2001年からセメントを除去して解体復元作業が行われてい。、2010年現在、解体が終了した。塔心礎は地上式である。心楚は地下式から次第に地上式に変わるが、その過渡期の形式で、大和の吉備池廃寺(百済大寺とされる)と同じ形式である。ここから舎利函が発見され、奉安記や金銅製舎利具が出てきた。

西石塔の下にはサル?像がある。飛鳥の欽明天皇陵の下にあるものとよく似ている。百済時代のものと言われてきたが、2005年の発掘で崩壊した石塔の屋根石の上に置かれていることが分かり、もう少し新しいものと考えられるようになった。

東石塔は残っている部材を使って近年復元された。石塔は木塔をほぼ忠実に模倣したもので、基壇は単層の低い一段で、各層の隅柱はエンタシス様式で作られる。一層目は各面3分され中央に入り口があり、中に入れるようになっている。石材も木材と同じように使い、それぞれ連結している。そのため非常に複雑な形になっている。

塔の中央は木塔で、東西に九層石塔を建てたが、崩れながらも西石塔は残っている。韓国最大の石塔とされる。扶余定林寺(정림사:チョンニムサ)の五層石塔のほうが簡素化された構造のためであるが、創建時期は弥勒寺の方が新しいため、定林寺石塔と定林寺創建の関係については議論の余地があるともいわれる。

寺の中には幢竿支柱、土台跡、石灯籠基礎、南門あとなどの石組みが残る。なお、回廊に礎石が残るが、これは創建当時のものではない。百済の建物の基礎は穴を掘り、版築で中を固めた後に直接柱を立てるというもので、発掘調査でその遺構が出土している。出土物は、資料館で見ることが出来る。

東塔(復元) 弥勒山と弥勒寺跡 復元図

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