大室古墳群
185 号(前)、186号(後)、187号(左奥) 168号墳(合掌型石室) 176号墳

大室古墳群は長野市の南、松代にある。日本最大の積石塚古墳群である。全部で500基。盛土墳や土石混合墳もあるが、8割近くが積石塚とされる。中には天井が三角形をした合掌型石室墳もある。全国40例のうち25例がここに集中する。大室古墳群には5つの支群があるが、もっとも規模の大きいものは大室谷の古墳群で国指定の史跡になっている。指定部分だけで166基(積石塚118基、合掌型石室7基)ある(大室古墳群のパンフレットより。長野市のHPでは241基)。

谷は、二本の長く伸びた尾根に入り込むもので最下部が標高350m、一番奥が660mである。その2qほどの距離に細長く帯状に分布している。離れて谷を眺めると、あたかも母胎に回帰しているようである。これらが5世紀から 8世紀にかけて作られた。積石塚が密集していて、他の地域の土で作られた群集墳とは異なった印象を受ける。ただし墳丘そのものはかなり崩れていて、現在調査が進められている。

積石塚は中国東北地方に拠点を持っていた頃の高句麗で発生して、百済に伝わる。一方、長野は高句麗の渡来文化の影響が強いところである。百済からは新羅を横切って日本海を渡るしかないし、大和からの距離もある。 一方で高句麗からは日本海を渡れば、糸魚川から簡単に入ってこられる。高句麗の故地は冷涼な山岳地帯で、狩猟文化+農耕文化を持つ彼らの生活基盤とよく似た自然条件だからである。

大室古墳群からは馬の生産と関係する物が出ている。168号墳からは墳丘の裾周辺から土師器、須恵器のほか、土馬が発掘された(168号墳は古墳の周りに浅い溝が巡っていて、全体として方墳の様に見える古墳である)。馬の使用も高句麗人の文化である。後の時代になれば、東山道を通じて大和と結ぶ交通の要地 にもなっていき、新たな高句麗人も配置され「牧」が作られた。大室にも「大室牧」があったと言われる。

いずれにせよ、高句麗の影響が強いと言われる地域から積石塚が見られ、長野県にはここ以外にも多くの積石塚が見られ、山梨、群馬でも積 石塚が見られる。東京にも積石塚の系統に連なる古墳がある(かなり土着化している)。さらに東京の調布、埼玉の高麗川、神奈川の大磯では高句麗に関係する伝説がある。

195号墳 244号墳(最大の古墳) 古墳の分布(赤い点が古墳)

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