保渡田古墳群

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八幡塚古墳全景 |
埴輪群 |
保渡田古墳群は5世紀半ばの50年ほどの間に作られた3つの前方後円墳(愛宕
塚(二子山)、八幡塚、薬師塚)であ
る。この地域に短期間で力を持った豪族の首長の墓である。墳丘は3基とも100mをこえ、2重の堀が巡り、堀の中に供養のための中島がある。この中島はこ
の地域に特徴的なものである。上州の古墳は埴輪が多い
ことでも
知られるが、八幡塚古墳の周囲には円筒埴輪6000個、100以上の形象埴輪(人物など)がある。中には狩りをしているものもあって、その矢先には矢が刺
さり流血するイノシシ埴輪まである。
八幡塚は作られた当時の姿に復元されていて、葺石つくりの威容をほこる。副葬品からは渡来人との関係を示す馬具がでて
き
た。渡来人(特に高句麗系)は馬に関する技術も導入して、長野、群馬の東山道筋には多くの「牧」があった。
この地は6世紀の2回にわたる榛名山の噴火と火砕流によって埋められ放棄され、綿貫観音山古墳の
方に中心が移った。そのため、当時の様子がパックされたようになっている。豪族の館跡、村、水田、
畑が見つかる。
保渡田古墳群からほど近いところには積石塚(谷ツ古墳=埋戻済)も発見され、そこからは朝鮮系の金の飾履が発見されている。この地域に渡来人の勢力
が関わっていることが分かる。葺石自身も渡来系の積石塚に属するが、谷ツ古墳は上方下方墳で上は完全に積石である高句麗古墳や百済の初期古
墳の影響が見られるものである。日本でも高句麗系の影響が強いと考えられている地域に積石塚が多
く残されている。なお、飾履は朝鮮半島から多く見つかり、新羅の都、慶州には飾履塚と
いう名前の古墳もある。