綿貫観音山古墳
古墳全景

保渡田古墳群に続く豪族の墓と考えられる。6世紀に2回にわたる榛名山の噴 火、火砕流の跡に作られた。綿貫観音山古墳は6世紀後半の古墳 である。周囲は4世紀からの古墳群があるが、それとは時期的に断絶している。墳丘からは「泣き女」はじめ多くの埴輪が出土した。

上毛野の豪族クラスの古墳で初めて横穴石室が採用された古墳で、朝鮮半島の影響の強いものである。石室は榛名山の噴火で噴出した軽い安山岩を壁にした。イ ンカの石積のように切り込みを入れて石を組み合わせている。床面は利根川の川原石。しかし、天井石を多胡碑と同 じ砂岩で作ったため、重さを壁が支えきれずに、天井石は崩落していた。そのため盗掘がされず、歯などの骨片や豊富な副葬品がでたが、その中には藤ノ木古墳 と同じ金銅製鈴付大刀や馬具がでた。さらに百済武寧王陵か ら出土したものと同じ獣帯鏡や銅製水瓶などが発見されている。

この地域では5世紀後半以降朝鮮半島に関係するものが発見されているが、綿貫の豪族はそれら渡来人集団を支配し、かつ大陸と積極的に交わった人物であった だろ うと考えられている。上野の豪族が大陸へ行っている記録は日本書紀にも出てくる。

石室 石室の石組 山頂よりみる榛名山

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