武寧王陵(무녕왕능:ムニョンワンヌン)
買地券 武寧王陵墓室復元 武寧王陵羨道復元

宋山里古墳群6号墳の脇から偶然発見された。6号墳の後山だと思われていたのだが、1971年に5,6号墳の漏水防止工事をするために地面を掘ったところ、磚積みの構造物が発見されて古墳だとわかった。直径20mの小円墳である。周囲の地形からすると、後ろに三山があり、南面するように作られている。そのため、風水地理の影響を受けて立地している古墳とも考えられる。ただ、武寧王のことに風水が韓国に入っていたかは不明である。

古墳の中は未盗掘で完全にそのまま遺っていて、入り口を石獣が守り、木棺が二つならんでいた。木棺は高野槙で、日本から持ってきたものである。金製耳飾り、王冠、枕(頭、足)などが遺り、梁の武帝から521年に冊封されたときに贈られたと見られる環頭大刀もでてきた。また、青銅鏡(神獣鏡)は高崎観音山古墳、滋賀野洲、山下古墳から同型鏡が出ている。倭から送られたか、倭に送られたものかは分からないが、高野槙とともに、倭との関係の深さを示すものである。

入り口の石獣の後ろには2枚の買地券が置かれていた。そこには「斯麻王62歳」が死亡し、ここに葬られたこと、銭一万文でこの地を買うことなどが記されていた。斯麻王は武寧王の生前の名前である。この買地券のおかげで、埋葬者が確定された。武寧王は、日本書紀によると日本の加唐島(かからじま)で生まれたためシマ王と名付けられたとされ、そのことが事実と証明された形になった。

壁面には龕があるが、 ここには燈芯の燃えかすやすすが遺っていた。また釘の跡なども遺る。近くには武寧王のもがりを行った建物跡が発見されている。

王妃の冠飾り 環頭太刀 製作の想像模型

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