山城下貴族墓区
累々たる積石塚 積石墓 鏡石の入る方壇積石塚

集安にある高句麗古墳は8千基であるが、本来は1万基以上あったといわれる。洞溝古墳群と呼ばれ、7つの群にわけられる。そのうち丸都山城のすぐ下にある古墳群を山城下貴族墓区という。ここにも大小合わせて千基の古墳がある。主に積石塚である。

中国東北地方では青銅器時代以来積石塚が作られていたという。高句麗はその伝統を受容して発展させたようだ。

高句麗の積石塚も時代により形が変わり、積石墓、方壇積石墓、方壇階梯積石墓などと分類される。山城下貴族墓区にはこのすべての形がある。集安は鴨緑江流域でもっとも積石塚が多い地域で、なかには高句麗建国以前と考えられるものもある。

方壇積石塚は下が四角形となっているもので3世紀に入ってから発達したと考えられる。基壇には鏡石のような石をいれるものもある。このような古墳が4世紀になると積石が段状になる方壇階梯式積石塚へと発展する。山城下古墳群では積石墓は450基、16%、方壇階梯積石墓は9基しかない。なお、大王陵将軍塚のような巨石古墳は高句麗の積石塚の中でも集安にしか存在せず、いずれも王陵クラスと考えられる。

山城下貴族墓区にはいずれの形の古墳もある。また、折天井塚、兄塚、弟塚、亀甲塚、などの名前のついた古墳があるが、このうち折天井塚、兄墓、弟墓は方壇階梯式積石塚のなかでも巨大積石塚に属し、いずれも4世紀後半のものと考えられる。さらに折天井塚は石室から壁画も発見されている。

このような積石塚の伝統は、高句麗の影響の大きい地域で見ることが出来、韓国ソウルの石村洞古墳群もその一つである。日本でも高句麗系の古墳にみることができ、長野県をはじめとする東日本に多く残っている。

折天井塚 弟塚 兄塚

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