深大寺(東京都
調布市)
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金銅釈迦如来倚像(白鳳仏) |
調布市の深大寺は、天平5年(732)に満功上人によって開基されたと伝えら
れ、浅草浅草寺と並び関東有数の古刹である。寺の開基伝説は渡来人との関係を示唆する。
昔、狛野の里に右近長者と妻の虎が住んでいた。そこにどこからか福満という男
が現れ、娘と恋仲になった。長者は娘を福満と会えないように池の中の島に幽閉したが、福満が深紗大王に祈ったところ亀が現れ福満を島へ連れて行ってしまっ
た。これに驚いた親は結婚を許した。二人からは子供が生まれたが、中国で仏法を勉強して、出家して満功を名乗り池に深紗大王を祀って寺を作ったという。山
門前の池は「亀島弁財天池と」いう。
福満は高句麗系の渡来人とされる。また、虎も渡来系と考えられている(名前か
らして壇君神話を思わせる)。この地域は古くから渡来系の人が開発したと
ころであった。付近は武蔵野台地端の「ハケ」といわれる崖で湧水地帯である。寺のまわりは池や滝など湧水が多い。台地の上は水が得にくいが湧水が多いハケ
沿いは開発しやすかったのであろう。早くから渡来人が定住したようだ。朝廷が渡来人を東国へ配する672年よりも早い時期の、主に
高句麗系と見られる古墳が狛江から調布にかけて多いことからもわかる。この開基伝説は古くから
定着して土着化した渡来人(虎女の娘)と、新たに日本へ来た
高句麗渡来人(福満)との恋物語なのかもしれない。
寺には金銅釈迦如来倚像がある。明治時代に出土したものである。創建当時から
あったもののようであるが、開基年代より1世紀も古い作品で、なぜここに
あるかは諸説ある。作風は新羅から中国北朝に連なる形式を持っているとされる。
深大寺の南、佐須には虎柏山祇園寺がある。満功が生まれた場所で満功が開
基とされる。伝説の池もここにあったとされるが。境内には朝鮮の石人像がある(ただし新しい)。板垣退助の植えた「自由の松」もある。
同じ佐須にある虎柏神社は満功上人の祖父母を祀る神社である。この神社の神主を務めていた温井氏は、満功の兄弟の後裔とされ、福満が「高麗温井里人」と記
された系図が残っているという。なお、「柏」は「狛」の書き違いだろうと考えられる。この地域が狛野の里という渡来人の居住地だったからである。神社境内
には江戸時代に建てられた由緒を刻んだ石碑があるが、これによって調布も狛
江郷に属していたことが分かる。
深大寺名物は「そば」である。良質の水が出るからであるが、8世紀頃、武蔵野
台地を開拓した高麗(こま)渡来人が栽培したのが最初と言う。ここからもこの地域が高句麗と関係が深いことが分かる。