狛江古墳群(東 京都狛江市)
亀塚の碑(住宅の中のわずかな高まり) 兜塚(もっともよく原形を残す) 経塚古墳(マンションの間にある)

小田急線狛江駅付近にある古墳群である。百塚と言われるほど(実際は70)の 群集墳であったが、現在は13基が残るに過ぎない。この中で亀塚がよく知られている。全長40m、高さ6mの帆立貝式古墳であったが、今は僅かな高まりに 過ぎない。墳丘には「狛江亀塚」と書かれた碑が立っているが、徳富蘇峰の筆である。

昭和20年代の発掘により中国後漢時代の副葬品や高句麗系と考えられる遺物が 多く出ていて、渡来人との関係が伺わせられる。この古墳群は6世紀後半からのものであって、それ以前の古墳とは時間的に断絶があると考えられていた。その ため渡来人が定住してこれら古墳を作ったと考えられてきた。しかし、近年6世紀初頭の古墳が発見されたり、弥生時代から続く集落が発掘され、この地域に古 くから豪族がいたことがわかり、その集団と発掘された物との関係を考える必要が出てきている。

いずれにしても近畿地方の豪族との関係があったことはわかるが、高句麗系渡来 人の多かった地域で発掘される物と同じものが出ることや、すぐ北の深大寺伝説、そして狛江という地名の 音から、高句麗の渡来人との関係を強く意識させられる地域である。万葉集 の東歌「多摩川に さらす手作り、さらさらに、なにそこの娘の、ここだ哀しき」の句がよまれたのもこの付近とされる。

白井塚古墳(家の後ろ) 松原東稲荷塚古墳(私有地(道路より)) 駄倉1号墳(駅前の銀行の裏)

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