釜山と対馬1

対馬と釜山はわずか50キロ程度。日本から釜山へ向かう飛行機は、着陸10分ほど前まで左手に対馬を見ながら飛ぶ。もちろん釜山からも対馬は見える。よく見えるのは曇りがちで雨の降りそうなときだ。釜山はつねに海側から太陽の光が入ってくるので、天気がよい日はかえって見づらい。写真は対馬北部である。

1592年、豊臣秀吉によって文禄・慶長の役(韓国では壬申倭乱、丁酉再乱)が行われると、釜山に倭城とよばれる城が造られた。戦後この麓、水晶洞(スジャンドン)に対馬藩の和館が置かれ、日本との外交、貿易を独占した。対馬側の貿易港は佐須奈であった。最初のうち冬は鰐浦が使われたがまもなく佐須奈だけになった。

佐須奈は釜山から見て対岸にあたる。佐須奈からは湾に沿ってまっすぐ航海すれば釜山に着く。釜山からは島影に沿って進めば佐須奈である。また島影が切れるところを目指せば鰐浦である。写真は文禄・慶長の役の倭城の跡から撮ったものであるが、おそらくのろしなどで通信が出来たはずである。

※この写真を撮ったときにそばにいた人に、「あれが対馬でしょ?」と聞いたら、「私は対馬が見えることは知っているけれども、あれは対馬ではないわよ。私は見たことはないわね」といわれてしまった。そのくらい当たり前の景色ということだろう。

2004年、ここで日本の携帯電話のスイッチをいれたところ、アンテナが3本たった。残念ながら、通話は成功しなかった。

着陸10分前
(見にくいが、黒く対馬が見える)
佐須奈は左の島に沿って進む(薄く黒いものが対馬) 対馬の島影

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