豆毛浦(トモポ)倭館跡
表示板の地図(多少位置が違う) 「古館」と書かれた看板 「古館」マンション

豆毛浦倭館は、国鉄釜山鎮駅から東区区庁付近にかけてあった。江戸時代に入り、日本は朝鮮王朝と復交したが、日本人は原則として釜山以外の地には行けなくなった。そのときに新たに作られた倭館がが豆毛浦倭館であった。1607年のことあった。

子城台付近にあったそれまでの倭館は、朝鮮側の施設に取り込まれてしまったため、朝鮮側の秘密保持の観点から、対岸の豆毛浦に倭館が作られた。偶然にも豊臣秀吉が侵攻したときの釜山本城のすぐ麓になる。

倭館は外交施設で、そのための建物なども数多く立てられた。しかし、ここは山から直ぐに海になるところで、平坦な面が多くないうえに港が浅かったため利用しにくかったようだ。早いうちからもとの倭館への移転願いが出されている。その結果1678年に竜頭山付近の草梁倭館へと移ることとなった。

現在、倭館の跡は残っていない。しかし付近の通称に「古館」という地名が残っている。また、東区区庁は、もと古館公園と言われたところである。近くには日本時代の家も多い。日本領事館もこの近くにある。豆毛浦の港は日本時代に埋め立てられ>、現在は面影はない。

旧古館公園入口付近 「古館」と書かれた道路標示 倭館の位置を示した碑

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