子城台公園(2)・倭寇、通信使
将台、鎮南台(朴政権時代新築) 西門門柱(左) 西門門柱(右)

子城台は日本によって造られた城であったが、引き続き李朝朝鮮側が使った。そのときの城は日本時代に撤去されてしまった。当時のもので残っているのは西門の門柱ほか、わずかしなかい。

豊臣秀吉軍の戦いのとき、朝鮮には中国・明が援軍を出した。ここは明の将軍、萬世徳が駐屯した。その功績をたたえて追慕する「萬公壇」というところがあったというが、現在はない。鎮南台の横にその将軍をたたえた記念碑が残っている。

山裾には日本に関連する建物がある。1つは「崔瑩将軍碑閣」である。高麗時代に倭寇撃退に功績のあった将軍を讃えたものである。倭寇に関するものは多くないので貴重である。その近くの「永嘉台」は、朝鮮通信使が船出するときに安全を祈った場所である。本来は子城台の西側、国鉄の線路付近にあった。線路付近には記念碑があるはずだが、発見できなかった(はしごを使って塀を乗り越えた線路脇にあるとのこと)。

明将軍を讃える 崔瑩将軍碑閣と、その中 永嘉台

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