子城台公園(1) 最初の倭館あと
釜山倭城から見た子城台(右が海側) 日本時代の城壁

地下鉄凡一洞駅の近くにある小高い丘である。豊臣秀吉の朝鮮侵攻のときの本城だった釜山鎮城とは谷を挟んで反対側にあたる。子城台の南側は近代になるまで海岸であった。そのため、ここに釜山倭城の子城が築かれたのである。毛利輝元が作り、小西行長が使ったといわれる。文禄・慶長の役が終わった後、ここは朝鮮王朝側が改築した使った。

子城台公園の北側の市場付近は、14世紀に富山浦の倭館が築かれたところでもあった。17世紀に再び倭館が開かれたときに、日本側はもともと倭館のあったここで再開することを希望したが、元の場所は朝鮮の釜山鎮城の中に取り込まれてしまい、朝鮮軍の防衛上ここに倭館の再建は認められなかった。
釜山本城機張倭城西生浦倭城はこちらへ)

向かいの山が釜山倭城 日本側の城跡 最初の倭館があった付近
 
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