西生浦倭城
子城の城壁 本城から下を眺める 天守台への階段 本城の城壁

西生浦(ソセンポ)倭城は数ある倭城の中でも最も形がしっかり残っているものである。加藤清正の城である。海沿いで回りから切り離された山の上に作られた。海までは城と山を囲むように防御戦がのびていて、敵の侵入を防げるようになっていた。海側には出城(子城)があった。おそらく清正がいた頃はすぐ下が海になっていたものと思われる。

機張倭城は土塁を併用していて石垣は一部であったが、西生浦倭城は、下から完全に石垣で覆われ、海までのびる防御用のラインも石塁である。この城は恒久的に使うことが考えら れていたようで、最初に造られた城が方々で改造を受けていた。石積を見ていると、天守台を拡張したり、門を埋めて城壁としたような痕があちらこちらに見られる。実際に使ったのは5年間程度である。飲料水も意識していて、井戸や池のあとなどが城内に見られる。

他の倭城についてはこちら 釜山本城、釜山子城台12機張倭城

大阪城のように大石がはめ込まれる
石垣に文字が彫られる
防御線
古井戸

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