浅芽湾(倭寇の拠点)
南側(対馬やまねこ空港方面)を見る 地形図(沈降地形)

対馬の中心部の浅芽湾は典型的なリアス式海岸である。対馬の南北を結ぶ地峡部分は非常に狭く、朝鮮海峡側から奥深くまで湾が入り込んでいる。現在は2カ所で掘り割られて対馬海峡側へ抜けられるようになっている。浅芽湾は非常に穏やかな海で、迷路のように湾が入り組んでいるため、隠れるのには好都合な場所である。ここを倭寇が拠点にした。日本海軍もここに基地を築いた。

対馬は山がちであると共に、風化の進んだ頁岩を中心とした島であるため、土が少なく農耕に適さない。いきおい島外に物品を求めなければならない。そのような状況を背景に、中世社会のなかで出てきたものが倭寇であった。日本人が中心の時も、中国人が中心の時もあったという。その拠点に浅芽湾が使われたのだ。

高麗は倭寇が遠因となって国がつぶれ、ひきつづき1392年に成立した李朝朝鮮でも倭寇対策が大きな課題となった。朝鮮政府は日本側に取り締まりを求めたがうまくいかず、ついに1419年、世宗大王のときに対馬を攻撃した(応永の外寇)。
 
北東側(朝鮮海峡側) 南西側(高い山は白嶽) 南東側(日本海側)
 
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