遠願寺(원원사:ウォノンサ)址

遠願寺は仏国寺駅から10キロほど南方、慶尚南道(경상남도:キョンサンナムド)との境界近くにある寺である。同名の寺もあるが、その後ろの長大な石築壇の上が新羅時代の寺址である。

統一直後に作られたとされるが、この時期は唐との戦争も続き、国中で四天王寺(사천왕사:サーチョナンサ)のような護国のための寺が作られた。遠願寺もそうした時期に建てられ、唐の撃退に力がある密教系の神印宗(四天王寺を作った宗派)によった。金庾信も創建に絡んだという伝承もある。この寺の近くには、新羅から「倭」への門にあたる「関門城(개문성:ケムンソン)がある。そのため倭の侵入を抑えることを祈ったのではないかという説もある。

寺址には三層石塔が二基残る。8世紀末から9世紀のものと考えられている。8世紀までの塔は釈迦そのものと考えられたため、仏国寺(불국사:プルグクサ)の釈迦塔のように装飾は少ない。しかし、その後、塔そのものを仏国と見るために、仏国を象徴するものが多く彫られるようになった。寺で信仰の対象が塔から仏像に移り、塔が装飾的意味に変わってきたことも関係あるかも知れない。

獐項寺(창항사:チャンハンサ)の様に塔身に仁王像と門を彫ったもの、昌林寺(창림사:チャンニムサ)や崇福寺(숭복사:スンボクサ)のように基壇に八部神将を彫ったもの、ほかに塔身に四天王を彫ったものなどが主であるが、遠願寺の塔は基壇部にあらゆる方向からの邪気を護る十二支像を彫り、塔身には四天王を彫っている。基壇と塔身それぞれに彫るのも珍しいし、十二支を彫ったものは他に類例がない珍しいものである。

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