安康(안강:アンガン)

慶州を北へ流れる兄山江(형산강:ヒョンサンガン)にそって北へ15キロほど行ったところにある町である。製鉄所のある浦項(포항:ポハン)との中間地点である。南北の谷と東西の谷がぶつかるところで、広い穀倉地帯で、新羅時代も慶州の食を支えていた所である。

そのため新羅時代の貴族も別荘などをここに造っていた。そのため、慶州から安康までの谷には新羅時代の寺跡がいくつか残っているし、安康の平野にも興徳(흥:フンドク)王陵や浄恵寺跡(정혜사:チョンヘサ)など新羅に関わるものも多い。李朝時代はここを地盤とした家が大きな力を持つことができた。村一つその一族で占めているところ(同族村という)もある。今、良洞民俗村(양동민속촌:ヤンドンミンソクチョン)という名前で村ごと保存されている。また、玉山書院という李朝時代の教育所もあり、そのあたりは風光明媚なところとして知られている。

安康は朝鮮戦争(韓国では韓国戦争)のときの激戦地であった。韓国政府が釜山(부산:プサン)に臨時政府をおいたときに引かれた防衛戦が安康を通過していたからである。ここから北は北朝鮮側に落ちたのである。兄山江は安康で東に向きを変えるが、そこをめぐり激戦が繰り広げられた。韓国側兵士の死傷者も非常に多く、川が赤く染まる程だったという。ここに防御戦が引かれたおかげで慶州の遺産が守られたともいえる。

玉山書院前渓谷 良洞民俗村 激戦となったトンネルと弾痕 朝鮮戦争供養碑

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