浄恵寺

浄恵寺(정혜사:チョンヘサ)は興徳王陵(흥덕왕능:フンドクワンヌン)の北にある寺跡である。寺の詳細についてはよく分からない。ここの石塔は典型的な新羅の石塔とは形が違う異形石塔である。一層目は四面に部屋をつくり、その上に12層の屋根を載せている。奈良の多武峰(とうのみね)の談山神社の十三重の塔とよく似た形をしている。異形石塔は新羅末期から高麗初期(羅末麗初)にかけて多く作られるが、ここの塔もその頃の作品である。

この1キロ程南側には李朝時代の玉山書院(옥산서원:オクサンソウォン)がある。書院は文字や四書五経を学んだり、地方の有力者である両班(양반:ヤンバン)が政治を論ずる場所である。そのため書物も多いが、ここには韓国で最も古い「三国史記」が保管されている。

玉山書院 玉山書院 (参考)談山神社
 
興徳王陵    目次    HOME   安渓里・根渓里の石仏