興徳(흥덕:フンドク)王陵

安康郊外にある。興徳王は9世紀前半の王で、すでに黄海では張保皐(장보고:チャンボゴ)が活躍するなど地方が分裂する傾向を見せていた。

陵は掛陵(괘능:ケーヌン)と同じく典型的な新羅の王陵の様式で、円墳の腰に板石がまき、その間に十二支像がはめ込まれている。また前方には文人と武人がまもる。掛陵と異なり、獅子(=狛犬)墳丘の四方を取り囲むようにしておかれている。

この古墳が作られるころに中国から風水思想が流れ込んだため、陵のまわりの地形が、風水上墓を作るのに適した地形となっている。その意味では現在の韓国の墓の立地の原形ということになる。

墳丘に向かって右側の林の中には亀趺が置かれている。武烈王陵(무열왕능:ムヨルワンヌン)のものと異なり、長方形に近くかなり形式化されている。ここも朝鮮戦争の激戦地で、石にはあちらこちらに弾痕が残されている。

墳丘と十二支(腰の部分) 文人・武人 獅子 亀趺

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