崇福寺(숭복사:スンボクサ)

崇福寺跡は掛陵(괘능:ケヌン)が元聖(원성:ウォンソン)王陵であることを確定させた寺である。ここから「崇福寺碑」が発見され、それが、元聖王陵との関係について「三国遺事」に記録されたとおりであったからである。

この碑文によれば、寺の地の岩が鵠のようだったので鵠寺といっていたものを、元聖王陵が出来たため修建して大崇福の号を賜ったという。三層石塔が二基遺っているが、いずれも基壇に八部神将軍が彫られている。南山昌林寺(창림사:チャンニムサ)や遠願寺(원원사:ウォノンサ)などとと同じく新羅末期のものである。

塔はそれ自体シャカを象徴するものだが、徐々にシャカのみならず仏国それ自体を象徴するようになった。そのために、基壇に仏の国を護る八部神将が彫られるようになった。基壇が各面二つずつに分けられ、全部で8面あることも八部神将を彫るようになった理由であろう。

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