四天王寺(サチョナンサ)跡
 
四天王寺(사천왕사:サチョナンサ)は、新羅が三国を統一する頃、新羅から唐に留学してい た明朗(명랑:ミョンナン)法師が建てたと言われる。寺の裏は狼山(낭산)、前方には南山(남산)がみえる。

唐は新羅と手を組み百済を滅ぼした。 新羅からすれば朝鮮半島を統一するためであったが、唐は朝鮮半島を唐に吸収するために、とりあえず新羅と手を組んだのだった。そのため、百済を滅ぼした後、唐と新羅は戦争状態になった。

伝説によると、そのころに明朗が新羅に戻ってきて、ここに幕をはり、仏の国の入り口を守る四天王を奉った。そしてマンダラを唱えた。そうしたところ、大風が起こり唐の船が沈没してしまったという。

これには後日談がある。唐が四天王寺の存在を知って、それを探りにきた。新羅はそれを見せるわけにはいかない。そのために、近くに急遽「唐の皇帝の徳を望む寺=望徳寺(망덕사:マンドクサ)」を作って使節に見せた。使節は嘘だと見破ったが、お金をつかませて帰国してもらったというものだ。

望徳寺跡は四天王寺と道路を挟んだ水田の中にある。四天王寺も望徳寺も、日本の奈良の薬師寺と同じく木塔が2基建っていたが、望徳寺の塔は安史の乱などで唐が危機になると、それを伝えるためか、ゆらゆら揺れたという。

今は金堂の前に2つの塔と、食堂、経楼などの基礎と礎石が残っているだけである。た近くの水田には亀趺(귀부:クィブ)とよばれる亀形の石が置かれている。記念碑の土台であるが、慶州の亀趺で、昌林寺(창림사: チャンリムサ)、武烈(무열:ムヨル)王陵のものとならんで三指に入ると言われる。

中央の高まりが本堂、左が東塔あと 金堂あと 亀趺(首は落とされている)
                
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