皇竜寺(황룡사:ファンリョンサ)
(左から)中金堂跡、東金堂跡(道路向こう),九層木塔跡(右),小金剛山(左後),明括山(中奥)(2枚を合成)

雁鴨池(안 압지:アナプチ)の北側は新羅時代の寺跡が多くある。現在は芬皇寺(분황사:プナンサ)以外は残っていない。その中で最大のものが皇竜寺(황룡사:ファンリョンサ)である。もともと6世紀半ばにここにあった湿地を埋め立てて王宮を作ろうと思ったが、夢に王を象徴する黄竜(황룡:ファンリョン)が現れたので、寺にすることとして皇竜寺と名付けたといわれる。実際に発掘したところ湿地の跡が出てきて、その上から寺の建物とは様子の違う基礎がでてきた。

皇竜寺は新羅最大の寺で、3つ金堂(本堂)が並んでいた。3つ金堂があるのは、高句麗の寺や日本の飛鳥寺に見られるが、横に並ぶのは珍しい。特に中金堂には丈六の三体仏像があったあとがあり、今でもその台座とそれを支える杭を挿した土台が残っている。
金堂の前には九層木塔跡がある。九層それぞれで新羅の敵だった国を滅ぼすことを祈ったと言われている。この木塔を建てるときには百済から木工を呼んできたが、百済滅亡も祈っていることに気づき建てることをためらったという。そうしたところ、どこともなく老人が現れて芯柱を建てて消えていったので、あきらめて塔を建てたと言われる。

寺はモンゴルが高麗に攻め入ったときに焼かれてしまった。そのとき、この寺にあった新羅最大の鐘もモンゴルに持ち去られてしまったが、それを載せた船は感恩寺(감은사:カムンサ)の前を流れる大鐘川(대종천:テジョンチョン)から海に出たところで転覆してしまい、今でも海が荒れると、どこからともなく鐘の音が聞こえて来るという。いずれにせよ伝説の多い寺だ。

丈六三尊物台座 金堂から芬皇寺方面(後方森)を見る 木塔芯柱あと 木塔推定復元図
 
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