竜の寺、新羅・感恩寺

慶州から吐含山をこえて日本海側へ車で向かうと小1時間ほどで海岸へ出る。新羅・文武王の海中王陵があ ることで観光地になっている。海中王陵は海岸の沖合200メートルの所にある岩であるが、その手前の海岸は広々とした「れき」を 中心とした砂浜である。

砂浜を北側へ歩くと、吐含山から流れ降りてきた大鐘川の河口となる。南側から 砂州がのび、河口は数メートルを除いて閉鎖された状態になっている。河口を越えると海への突出部となり岩石海岸となる。

このような地形から、大鐘川の河口は潟湖のような状態となっていて、池のよう になっている。<大鐘川は吐含山から流れるが、普段は涸れ川のような状態ですぐ上流はすでに岩 が積もっている川である。川のまわりは段丘になっていて、新羅時代の寺跡がいくつかある。

感恩寺もそのような寺跡の一つだ。大鐘川の河口から500メートルほどの、標高10メートルほ どの段丘の上 にある。<段丘の下は幅500メートルほどの平野が続き、水田に利用されている。

文武王が死んだ後に竜になってこの寺に入り、国を守るという遺言によって造ら れた寺で、基壇の下に空洞が作られているという変わった構造をしている。段丘下には池が作られ、竜が入れるように本堂下の基壇には切れ込みが入れられてい る。竜は水の中に住んでいるからで、その水が入るからである。

高麗時代に編集された韓国の歴史書、三国史記や三国遺事では水が増えて竜が やってきたという記事があるが、もしかすると実際に水が上がってきたかも知れない。この川は海岸から直角に入り込んでいるためで、日本で起きた地震などに よっておきた津波が上がってくる可能性があるからである。三国史記には地震などの記録も出てくるので、新羅史を日本で起きた地震などとの関連で調べてみる 必要があるかも知れない。

赤い矢印の先が感恩寺(山の先端が日本海) 吐含山から流れ下る大鐘川(向こうは日本海)
 
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