文武大王(문무대왕)海中王陵

慶州からバスで50分ほどで、日本海(東海)岸に達する。石窟庵(석굴암:ソックラム)のある吐含山(토함산:トハムサン)から流れ出した大鐘川(대종천:テジョンチョン)の河口近くに岩の島がある。文武大王(문무대왕:ムンムテーワン)の海中王陵と伝えられる。島には十字に水路が掘られ、その中央に甕らしいものがあるという。文武大王の時、唐との連合軍により百済(630)と高句麗(668)が亡んだ。

ここに陵が作られたのは、「われ死して東海の竜にならん」といって、日本海側に散骨することを願ったからだという。日本から国を守るためとも、竜となり新羅の安泰を守るためとも言われる。その竜が国を守るために作られた寺が、感恩寺(감은사:カムンサ)である。

このようなために、海中王陵に向かい一晩中祈りを捧げるムーダンなどの人々を見ることができる(下の写真)。また、島には上陸できないが、そばをモーターボートでまわることはできる。


安溪里、根渓里の石 仏    目次    HOME      感恩寺