路西洞(노서동:ノソドン)古墳群

路西洞(노서동:ノソドン)古墳群は路東洞(노동동:ノドンドン)古墳群と道を挟んである。本来は一つの古墳群で邑南(읍남:ウムナム)古墳群とも呼ばれた。新羅の三国統一以前の大型の古墳が多く残されている。最大のものは西鳳凰台(서봉황대:ソボンファンデ)。いくつかの古墳は戦前に発掘されているが、どこからも金冠、金ベルトなどをはじめ金製品が出てくる

入り口すぐ右側は金冠塚(금관총:クムグァンチョン)である。ここにあった民家が改修工事で家を掘ったところ、金冠が出てきて大騒ぎになったことからつけられた。あまりにも古い古墳で崩されてしまっていて、その跡からは石しか出てこないため、何も残っていないと思われていたのである(このころの古墳の構造についてはこちら参照)。金冠の場所はトイレの屎尿溜めになっていた。

金冠塚のうしろには円形をした広場がある。ここは瑞鳳塚(서봉총:ソボンチョン)の跡である。瑞鳳の瑞はスウェーデン(瑞典)のことで、鳳は鳳凰のことである。この古墳は国鉄慶州駅建設の土砂をえるために発掘された。「鳳」凰の飾りのついた金冠が発見されたのであるが、それを、たまたま慶州を訪れていた考古学者でもあるスウェーデン皇太子に取り上げてもらったことから瑞鳳塚と命名された。高句麗の「延寿元年」の銘が入った銀盒もここから出ている。

ここには壷杅塚(호우총:ホウチョン)の跡もある。韓国で独立後初めて発掘された古墳で、「乙卯年国岡上広開土地好太王壷杅+」と刻まれた壷の蓋が発見された。これは高句麗の広開土王(好太王)の没後3年目にある。広開土王は400年に軍を派遣して明括山城付近にいた倭軍を駆逐し、その後任那伽倻(金官伽倻)まで軍を進めるなどしていたが、壷杅などの存在は、中原高句麗碑とならんで、この当時の新羅と高句麗の関係を示唆するものである。

金冠塚 累々たる古墳 累々たる古墳
 
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