慶州壷杅塚(ホウチョン)
壷杅の拓本

壷杅塚は慶州路西洞古墳群(ノソドン)の中にある。1946年に始めて韓国人の手によって発掘された古墳で、現在は痕跡だけ残っている。墓は積石木槨墳であった。棺の外に副葬品があったが、その中に青銅容器もあった。その底に「乙卯年国岡上開土地好太王壷杅+」という文字が鋳だされていた。

乙卯年は高句麗の広開土王の没後3年、415年にあたる。長寿王の治世である。壷杅塚とならんだところにある瑞鳳塚(ソボンチョン)からも、高句麗の「延寿元年」の年号が入っている銀盒が出土した。こちらは長寿王39年の451年のものとされる。

どのような由来でこれらが慶州に来たかははっきりとは分からないが、長寿王の時代は高句麗が最大版図を築いたときで、新羅に軍隊を駐留させるなど、新羅に勢力を及ぼしていたときである。中原高句麗碑とならんで、高句麗と新羅の関係を考えさせられるものである。

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