於美阿志神社(檜隈寺跡)
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13層石塔(平安時代) |
檜前にある神社で、東漢氏の祖である阿知使主(あちのおみ)をまつる。神社の
出来る前は東漢
氏(やまとのあやうじ)の氏寺である檜隈寺があったところで、金堂、講堂、塔の基壇、礎石が残っている。金堂の基壇は瓦積みである。
東漢氏は、安羅伽耶や百済などから渡来したとされる。5世紀前半、高句麗が盛
んに南に進出を始めた頃と考えられ、この地
域に池を作るなどの潅漑などを行った。5世紀後半、漢城百済が滅
亡したが、そのときにも多くの渡来人(今来技伎:いまきのてひと)が来て、東漢氏の下に入る。このころのオンドル遺跡が飛鳥南部から出てきてい
る。東漢氏は、いくつかの集団か
らなっており、
最初のうちは檜前(ひのくま)氏が力を持っていたが、後に坂上氏に変わった。坂上田村麻呂も東漢氏の末裔である。
蘇我氏は東漢氏の勢力を背景に力を伸ばした。
朝鮮半島からの渡来集団であるため、仏教公式伝来以前から仏教の信仰がなされたようで、ここに草庵をつくっていたという。このような勢力を背景にしたた
め、蘇我氏は仏教の受容に熱心だったのである。その仏教は百済敬仏教であった。
飛鳥の歴史の中で大きな役割を果たした東漢氏も壬申の乱によっ
て勢力を失う。古い百済からの文化でなく、唐、新羅などの新たな文化を持ったものが必要となったからでもある。その後、
この一帯は王家の墓と言われるくらい、多くの終末古墳が集中する地域となった。壁画で知られる高松塚、キトラ古墳、天
武、持統陵、鬼の俎・厠もここにある。