難波池(向原寺)

難波池

奈良県明日香村の向原寺は、もともと蘇我稲目の邸宅跡とされる。蘇我氏は豪族 とも、渡来系とも言われるが、いずれにせよ渡来系の東漢氏の勢力を背景に力を急速に伸ばし、6 世紀には物部氏と対立するようになった。

552年、百済の聖 明王(聖王)は欽明天皇に仏 像を送った。 欽明天皇の妻は蘇我稲目の娘、堅塩媛である。起欽明天皇は仏像を蘇我稲目に祀らせた。しかし疫 病の流行によって、対立していた物部尾輿によって難波の堀江に投げ捨てられてしまう。その難波の堀江とされる池が向原寺の隣にある。

後にここから発見され た仏像が長野に運ばれ、善光寺の秘仏となるという。なお難波の堀江といわれるものは、大阪にもある

稲目の家は後に推古天皇の豊浦宮としてしばらく使われ、さらに小墾田宮に移った後は豊浦寺となった。飛鳥寺に対する尼寺である。向原寺のそばに伝小墾田宮 といわれる土壇が残っているが、現在では蘇我氏の邸宅跡と考えられている。

向原寺本堂 豊浦宮基礎 伝小墾宮跡

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