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毎日新聞  平成11年3月7日




瀬戸内しまなみ海道 「夢架ける橋に‥」

 一刻を争う緊迫の工事〜航行船舶を50分止め



「自航台船、出域せよ」「了解」「吊り下げ開始せよ」。橋げたの直下つりに許されるのはわずか50分。1分1秒を争い、72個の無線機のやり取りは緊迫していた。来島海峡第二大橋の大島側を担当した補剛げた工事共同企業体(JV)の所長、江草拓さん(58) は昨年春、主塔5Pの塔頂に陣取り、張り詰めた表情で周囲に監視の目を光らせていた。

来島海峡は国際航路。外国船を含む航行船舶を止めないと、工事はできない。松山沖から新居浜沖までの広い海域に監視船、広報船など十数隻を配置。通訳も用意し、無線や横断幕で船舶に呼びかけた。相手の船に無線が通じないと大騒ぎになった。霧で視界が悪く工事を中止した日もある。

安全に工事をするための対策と準備が一番の課題だった。船を操る地元の船長も、技術者たちも通信には不慣れ。打ち合わせと訓練を繰り返し、しどろもどろだった無線の応答にも習熟した。霧がおりた早朝、晴れるかどうか経験豊かな漁協関係者の判断を仰ぐことも多かった。「船長さんら地元の人たちの頑張りのおかげ。多くの人に支えられた」と江草さんは話す。

橋げたを補剛げたと呼ぶのは、橋の強さ(剛性)や耐風安定性を増す構造になっていることから。

来島海峡大橋を六つの工区に分けて、六つのJVに同時に発注された。第一大橋に1997年8月、最初の橋げたを架け初めて1年、昨年8月10日第二大橋に最後の橋げたが架かり、3連つり橋は1本につながった。

作業は潮止まり前後の50分間に限定される。橋げたを積んだ台船に、アンカーを取って固定する余裕はない。そのため、自力で同じ位置にとどまっていられるように、本四公団と三菱重工が開発したのが自航台船だ。リフティングビームなど巻上げや連結にも先端技術が用いられ、時間短縮に力を発揮した。

生名村で小学校低学年を過ごした江草さんは、島の生活を大きく変える架橋に思い入れがある。95年8月から、休む間もなく架橋建設に没頭した江草さんだが、最近ようやく、大橋の写真を撮る余裕が生まれた。担当した第二大橋を撮影できるスポットを小島、大島の地蔵鼻に見つけた。島々の景観にマッチした大橋の姿に「スマートないい橋ができた」と満足そうだ。「ここに至るまでいろんなドラマがあった」。今、忙しかった日々の思い出をかみしめている。


☆写真は省略