プ ロ フィ ー ル


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PROFILE










私のプロフィールとして、過去に何らかの形で紹介された当時の記事の一部を、僭越ながら紹介したい。



私の橋歴書(本四架橋に関わって) 橋梁新聞 平成11年6月21日

せとうち三橋時代‥30年の歳月(政治・経済の荒波もろに) 中国新聞 平成10年10月17日

夢架ける橋に(一刻争う緊迫の工事) 毎日新聞 平成11年3月7日

最後の大行事(第48回全国溶接技術競技会) 私的メモ 平成14年10月20日

橋建協安全ポスター 橋建協 平成11年4月

開通15年後の来島海峡大橋




このホームページには仕事・業務関連については記載しない方針であった。ところがだんだん書き加えるにつれ、少しは過去の業務について記述したくなった。卒業以来の40年間、私の生活は業務なしでは語れないからである。

しかし昔からの習性として仕事について喋ると、どうしても自慢話になってしまう。「日本経済新聞」に、名を成し功を遂げた方の小自叙伝が連載されている。それを読むと、世話になった偉い人を並べ上げて付き合いの広さを誇示するか、自分の成果に酔いしれている人が多く、ワンパターンな記述も多々あると思う。そのようにはなりたくないと思っていた。自分の成果の裏で、他人を利用し犠牲にしていることがあるかも知れない。競争社会では当然の事ではあろうが。

私自身も、勿論地位ある人に世話になった事はたくさんある。しかし今になって思うと、世話になったのは地位ある人は勿論であるが、むしろ心底から一緒に仕事をして呉れた仲間や配下、または外注先業者の人々であったように思う。これらの人々はその時々の目標を達成するために、個人としては利害も打算もなく同じ釜の飯を食って来たからである。

私の生まれは昭和15年満州である。終戦前には帰国し東京、瀬戸内海の小さな島(生名島)、松山と過ごし学生生活は大阪で送った。

就職したのは重工業系の大企業で、主として橋梁の設計業務に長年携わり、現地工事にも関係した。高度成長下で仕事も立場もそれなりに華々しい時代ではあった。