15世紀に公布されたハングルは、諺文(げんぶん:オンムン)などという名前で呼ばれた。 この文字は江戸時代に日本にも紹介された。鳥取県に残る掛け軸のように、朝鮮からの漂流民が直接 韓国語で書いたものもあるが、およそ韓国と関係なさそうなところにハングルが残されているものもある。 長野県小谷村の融通念仏供養碑、千葉県大巌寺四面石塔、千葉県松翁院四面石塔がそれである。 このうち融通念仏供養碑は日本人の編纂した本から字体をとったことが指摘されている。 そこで調べたところ、数点ハングルが紹介されている本がわかった。それも韓国語として紹介しているものと、 日本語の「イロハ」がハングルでのように書くかと紹介された ものの2種類あることがわかった。 このうち昆陽漫録などはかなり広く読まれているようなので、少なくとも朝鮮に諺文という文字があることは 日本の中でもある程度知られていたものと思われる。 |
【目次】 |
●純粋に韓国語のハングルとして紹介したり、韓国音を表す目的で表されたもの(昆陽漫録 漢呉音図) |
●「イロハ」五十音をハングルで表したもの(客館さいさん集、神国神字論、倭漢節用無双嚢、百草露など) |