横根・桜井積石塚古墳群
案内図(左側の点が古墳群) 9号墳(護石代わりの巨石) 10号墳

甲府市北部は長野県松代に次いで、積石塚古墳が多いことで知られる。なかでも八人山中腹の「横根・桜井積石塚古墳群」は松代の大室古墳群に次いで積石塚が群集している。全部で142基確認されている。比較的見やすいものは、9 -11号墳、80号墳の集まる梅畑であるが、畑中に古墳と同じ石材が散乱していて、ここだけでもっと多くの古墳があったと考えられる。

古墳は7世紀に造られたと考えられていたが、6世紀の遺物も出てきた。5世紀まで遡る可能性もあるようだ。で、墳丘は5-8mがのものが多い。最大でも 10mである。金環、土師器、須恵器、ガラス玉などが発見されている。積石塚は高句麗の墓制が よく知られる。一部初期百済にも影 響を与えたが、後に他の墓制に変わってしまった。日本では長野県から山梨県にかけて多く分布しているが、いずれも高句麗との関係が強く感じられる 場所である。古墳の眼下は古代の寺本廃寺や甲斐国分寺の瓦を生産したところで、百済系の瓦が出土する。そのため、ここにいた渡来系生産集団と関連づけられ る。

なお、周囲の環境や身分の関係で、渡来系集 団とは関係なく積石塚が造られたという説もある。古墳群が造られた時期に、高句麗では積石塚が造られていないこと。また、高句麗の古墳の作り方とかなり違 うこと。百済の墓制でないこと。高句麗系渡来人がいたとされる中巨摩郡などで積石塚が発見されないこと。古墳から渡来系の遺物が出てこないこと、低いとこ ろは封土墳であり、積石塚のあるところは元々適当な大きさの石が多いことなどがあげられる。いずれも発掘の結果を待ちたい。

11号墳 80号墳(石室が残る) 古墳眼下(甲府市東部から石和 霧の中)

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