社稷壇(사직단:サジクタン)

宗廟と並んで都をつくるときに、必要なものが社稷壇である。王の祖先を祀る宗廟が王宮から向かって左手に作るのに対して、社稷壇は右手に作る。宗廟と社稷壇の制度は高麗時代に中国の制度を導入したものである。

朝鮮の初代太祖が漢城に遷都してきたとき、正宮の景福宮建設に先立って宗廟と社稷壇を作ったというほど、王朝にとっては重要な施設である。中国では王宮の真ん前の左手に作るが、ソウルの場合は風水地理の影響で、宗廟とともに景福宮から少し離れた尾根すじにつくられている。
 
社稷壇とは土地の神と五穀の神を祀るもので、宗廟と同じように王が自ら祭祀を行う。正方形をした壇がふたつあり、四方に階段が築かれる。それぞれの壇に土地の神と、五穀の神が祀られる。四角い形をしているのは、風水地理で「地」を表すためである。風水で「天」を表すものは「円」であるが、これは中国の皇帝しか使えない。皇帝は天から支配を命ぜられるのに対し、王は天帝である皇帝から支配を命ぜられるからである。
 
社稷壇は社稷壇公園となっているが、公園の中には日本にも影響を与えた儒家である李栗谷(이율곡:イ・ユルゴク)の銅像や、伝説上の韓国の始祖である壇君(단군:タングン)を祀った廟がある。
 
案内板より 祭祀の練習 鳥居のような神門

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