恭愍王(공민왕:コンミンワン)神殿

恭愍王(コンミンワン)神殿は宗廟を入った右側にひっそりと祀られている。恭愍王は14世紀後半の高麗の31代目の王である。ここは朝鮮王朝の廟だから、本来高麗の王の廟があることはおかしい。作られた由来について伝説はあるが、実際の所は分かっていない。
 
恭愍王は高麗の王の中でも特筆される王である。高麗は12世紀以来モンゴルに服属させられていた。世子(皇太子にあたる)はモンゴルに人質となり、モンゴル人の妃を娶らせられた。恭愍王も同様だったが、恭愍王はモンゴル(元)に対抗してきた漢民族の明と手を組んで、元の影響下から抜け出そうとした。
 
朝鮮の初代国王、李成桂も恭愍王の下で力をつけた人物である。しかもモンゴルを助け、明を討つために出征させられたのを、途中で軍の方向を変えてクーデターをおこし、結果的に自身が朝鮮国王になった。形式的には高麗王を引き継いでいる(支配している人の名字が変わると国号も変わる)。そういう関係から祀られたのであろう。ただし、さすがに王自身が祭祀することは出来ず、宗廟の職員が祭祀していた。


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