集安
集安と北朝鮮の山々 集安の朝鮮族街

集安は中国吉林省東南部、遼寧省との省境に近いところにある。南側には中朝国境の川、鴨緑江が流れ北朝鮮と向き合っている。通化より鉄道で2時間40分、車でも2時間の距離である。ここから北朝鮮に行く鉄道が出ている。丹東、図門とならんで朝鮮へ抜ける三大鉄路の一つである。集安市の人口23万人で漢族が88.4%、朝鮮族が7.5%、他に満族、回族、蒙古族が生活する。気候はこの周囲の中では温暖であるが、それでも冬は鴨緑江が凍り付き、川の上を渡れるほど結氷する。

林業、水力発電などが盛んで、金、鉄、大理石なども採れる。さらに人参をはじめとした薬草も名高い。

高句麗の第2の都として知られ、3世紀初めの山上王(中国側の資料では起元3年で、かなり食い違う)から5世紀後半の長寿王までがここで在位した。町には高句麗時代の貴族墓古墳城跡など多くの遺跡が残り、世界文化遺産に指定されている。

しかし、集安自体は新しい町である。清国時代、この地は満州人の元である女真人の出身地の一つとして、聖地扱いとなり、封禁策という立ち入り禁止政策がとられた。1887年に懐仁県、通化県の両方に属し、1902年になって輯安県となった。名前は「撫綏安輯」から取られたものである。1965年に集安県、そして1989年に集安市と改称された。


集安の町 国境の河、鴨緑江 中国(左)と北朝鮮(右)

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