旧満鉄
瀋陽北駅

満州の鉄道開発はロシアの手による。ロシアはシベリア鉄道経由でモスクワとウラジヴォストークをつなごうとしたが、国境線の関係で中国東北地方で大きく迂 回しなければならなかった。それを短絡するために満州に鉄道(東清鉄道)を敷くこととし(1896)た。さらに大連港に目をつけたロシアはハルビンから大連まで支線を敷くこととした(1901)。

1905年日露戦争終了で東清鉄道の一部が日本側に分割されることとなった。日ロの交渉の末、長春− 旅順・大連(本線)とその支線を日本に渡すこととして、南満州鉄道が経営にあたることとなった。(実際は奉天−安東間路線を含む1142km)。南満州 鉄道は軌間をロシアの軌間から国際標準軌間に変更して、朝鮮、中国との鉄道経営を目指した。実際に一時期南満州鉄道が朝鮮の鉄道の運行を行ったこともあっ た。

満鉄は大連港と鉄道を一体化するとともに、撫順炭坑、按山製鉄所など幅広く様々な経営を行っている。なお、満州国成立後、東清鉄道で日露戦争後ロシア側に 経営権が残った部分(日本側は北支鉄道と呼んだ)も満州国側にうつし、満鉄が委託経営していた。

按山駅 車窓風景 大連、沙河口駅付近
 
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