大連港
大連港(第2埠頭)

大連港は広い湾に面し、水深の深い良港である。港は帝政ロシアの建設に始まる。旅順を軍港として使い、大連を商業港として東清鉄道に作らせた。5つの埠頭が計画されたが、完成した埠頭は第1埠頭と第2埠頭であった。鉄道が入っていたため、日露戦争の時日本軍はここを兵站基地として使った。

日露戦争後、港の建設と運営は、「満鉄」にまかされた(1907)。満鉄は第3埠頭を作った後(1920)、第2埠頭を改修して(1923)3万トン級の船が接岸できるようにした。このような埠頭などともに倉庫やクレーンなど様々な設備も作っていき、港湾施設が整えられた。さらに第4埠頭(1923起工)も作られたが、次第に大連港は手狭になり、近くに別の港も作られるようになる。

大連は日本から満州に来るときの入り口であった。第2埠頭には東清鉄道時代にすでに鉄道が敷かれていたが、それを船の横にまでのばして、船からすぐに鉄道に乗れるようにした。さらに待合室を作り(1924)、1階を鉄道のホーム、2階を待合室としてそのままブリッジを渡って雨に濡れずに船に乗れるようにした。入り口を半円形として(1925)、すぐに市電に乗り換えられるようにした。この待合室は、入り口部分は改装されたものの基本的には当時のままの形で残っている。

第2埠頭の前には大連埠頭事務所(現大連港務局)があった。満州に到着した日本人のイメージをよくするために、ルネッサンス様式の煉瓦7階建てとした。完成当時は大連で最も高いビルであった。

第1埠頭(ロシア時代) 第2,3埠頭(日本時代) 旧大連埠頭事務所
 
前のページ    目次    HOME   次のページ