旧満州鉄道本社
大連鉄道有限公司
(旧満鉄本社)
大連図書館日本文献資料館
(旧満鉄大連図書館)
(旧満鉄分館)

旧南満州鉄道(満鉄)は、鉄道のみならず、満州を支配するための機関として作られた。ロシアは東清鉄道の線路沿いを鉄道付属地として支配したが、日露戦争後、日本側に権益の移った南満州鉄道も鉄道付属地を中心として支配を進めていった。満鉄本社は1908年末に旧ダリーニ市役所から、中山広場南東側に移された。ロシア時代に学校として作られていたものである。

この付近には満鉄関連の建物が多く造られた。本社の前には分館がある。満蒙政策の基礎資料を作った調査部が利用していた。満州日報社が作られ、満鉄経営の大和ホテルがある。さらに1919年にすぐそばに大連図書館本館が建てられた。満鉄は各地に図書館を作ったが、その中心の役割をして、20万冊を超える蔵書数を誇った。

満鉄大連医院は1907年に介せるされ、一般居住者の診察を始めた。各地に分院が作られたが、1925年にはアメリカ・フラー社の設計によって大連に最新式の病院を建てた。当時は東洋一といわれたそうである。南山麓には満鉄職員をはじめとする住宅街が作られ、現在も多くの建物が残されている。

大連鉄道紋章
(旧満鉄紋章)
大連鉄路医院
(旧満鉄大連医院)
日本風城街
(旧満鉄の社宅など)
 
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