俄羅斯風情街
旧ダリーニ市役所

俄羅斯風情街は大連の勝利橋を渡ったところにある。俄羅斯は「おろしあ」のことである。東清鉄道を直接埠頭まで持って行くために小高くなっている岬状のところを掘り割りで通し、橋の所にダリーニ駅を作った。東清鉄道の技師長で、ダリーニ市長でもあったサハロフは、ドイツ人技師をともなって、パリに似た市街地と商港を設計した。そのため鉄道の掘り割りを境として、海側に行政市街、反対側をヨーロッパ市街として都市計画を行った。少し離れたところ(現在の大連駅の西側)に中国市街も計画された。中国人労働者も必要だったからである。

行政市街から建設をはじめ、ダリーニ特別市の市役所、市長邸、ロシア正教会などが1903年までに完成した。ダリーニ市役所は1900年頃東清鉄道本社として建てられ、02年に市役所となった。ルネッサンス様式で建てられた者で、行政都市の突き当たりのアイストップの役割をしている。

日露戦争が終わり、日本が支配するようになると、ここは露西亜街と呼ばれた。最初のうちは、大連の街はまだ行政市街しかなかったため、日本側もここを拠点に大連の復興を行った。ダリーニ市役所は満鉄の本社としてしばらく使われた(1907)。近年きれいな町並みとして復活した。

ロシア街の建物 旧ダリーニ市長公邸 旧東清鉄道汽船会社本社
 
前のページ    目次    HOME   次のページ