中山公園(1)
大連賓館

中山公園は日本時代「大広場」といわれたところである。ロシア時代の都市計画で作られた大ロータリーである。ヨーロッパ市街の中心にあり、直系213mある。ロシア時代は皇帝ニコライ2世にちなんでニコライフスカヤ公園と呼ばれたが、日本時代に「大広場」、戦後は辛亥革命の指導者、孫文の号(中山)をとって「中山公園」と呼ばれた。この地域はロシア時代は区画整理がされただけで、殆ど建物は建っていなかった。それが建ったのは日本時代になってからである。

大連の建物は耐火建築でなければならないため、必然的に洋風建築となった。大広場に建てられた最初の建物は「大連民政署」であった(1908)。煉瓦造りの2階建ての建物である。民政署は関東都督府の下に作られた行政機関である。この建物は後に大連警察署が使った。

「大連民政署」の左隣が旧「ヤマトホテル」である。満鉄の直営ホテルで、欧米人が宿泊可能なものとし大連のほかに旅順、長春、星ヶ浦、奉天に作られた。大連の最初のものはロシア時代のダリーニホテルを使ったが(1907)、規模が小さかったので旧ダリーニ市役所を別館とした(1908)。しかし、やはり客室が不足した。そこで本格的なホテルを建てることとして、5年かけて1914年に竣工したものである。本格的な三層構造で、イオニア式の円柱を並べたルネサンス様式である。内部は蒸気暖房やエレベータをつけ、屋上を庭園とした。のちにリットン調査団が宿泊したのもこのホテルであった。

大連賓館
(旧ヤマトホテル)
遼寧省対外貿易経済合作庁
(旧大連民政署)
中山公園
 
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