ヤマトホテル(春誼賓館)
春誼賓館旧館(旧ヤマトホテル)

満鉄は鉄路でヨーロッパと結んでいるため、ヨーロッパ人が泊まれる施設として「ヤマトホテル」を大連、奉天、旅順、長春、星ヶ浦に建設した。最初に開業し たホテルは大連のヤマトホテルであったが、旧ダリーニ市役所などを利用したものであった。

満鉄が最初の建設した「ヤマトホテル」は長春のヤマトホテルだった。長春の鉄道付属地が決まるとすぐに着工し、1910年には開業した。早々に建設され たのは、長春がロシアとの接点だからで、交渉や社交の場でもあったからである。

建物がアール・ヌーヴォー様式を採用していることでも知られる(アー ル・ヌーヴォーとは)。これは、長 春のすぐ北のハルビンで、アール・ヌーヴォー式の建物が東清鉄道によって多く建てられたことに対抗するためであったと指 摘されている。

長春自身がロシアとの接点であることを強く意識して街作りがされているが、これもそのひとつの例である。

ロビー 内部 入り口の説明板
 
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