関東軍司令部

日露戦争後、旅順に関東州統治機構の関東都督府がおかれた。関東都督府は民政部と陸軍部に分かれるが、 陸軍部は関東州と、関東州外の満鉄保護が任務であった。1919年に民政部と陸軍部が分かれて、それぞれ関東庁と関東軍となった。

辛亥革命後、関東軍は奉天に勢力のあった張作霖との関係を強めた。しかし張作霖が国民党に敗れたことをきっかけとして、張作霖は奉天近郊 で監督軍によって爆殺(1928)された。これに反発した張作霖の息子・張学良が国民党と手を結び、満州を中華民国に帰属させると(1928)、関東軍は 満州事変を起こした(1931)。関東軍は張学良の勢力を奪い、満州の主要地域を占領して「満州国」を「独立」させた(1932)。

満州国成立によって、関東軍司令部も旅順から新京に移された。関東軍は満鉄付属地を利用した首都作りを行ったが、関東軍司令部はそのほぼ中央に置かれ た。建物は大林組によって造られ、1932年に起工して、2年後の1934年に竣工した。

建築様式は現代的ビルに日本の城をのせた「帝 冠様式」で作られた。なお、この頃建設された新京の官衙の多くが、コンクリート建築に中国風の屋根を載せたもの(興亜様式)となっている。 現在、この建物は中国共産党吉林省委員会が使用している。

関東軍司令部(現在中国共産党吉林省委員会) 隣の建物
 
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