長蝦里廃寺

(寺跡全景)

扶余から10キロ離れた長蝦(장하:チャンハ)里にある寺址である。白馬江に近い丘陵にあり、遠く扶蘇山が見渡せるところにある。高麗時代初期に建てられたとみられる寺で、周囲の畑には新羅末から高麗初期にかけての瓦が散乱している。

韓国の石塔は百済と新羅で作られはじめた。百済は、扶余定林寺(정림사)のように木塔を基盤にした形式で造り、新羅は、慶州芬皇寺(분황사:プナンサ)のように、中国の磚塔の形式で作り始めた。統一新羅では両方を合わせた石塔となり、全国一律の基準で塔が立てられるようになった。慶州仏国寺(불국사)釈迦塔の形式である

しかし、新羅の力が落ちてくると、地方独自の石塔や石仏が造られるようになった。特に高麗が支配するようになると、地方ごとに独自の石塔や石仏の流行がみられ、元の百済の地域では定林寺の石塔の影響を受けた塔が作られるようになった。その中でも最も定林寺に近いところに立てられた塔が、長蝦里三層石塔である。定林寺の形式を引き受けてはいるが、塔の幅に対して高さが異様に高く貧弱な印象を受ける。

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