芳荑洞古墳群
西北古墳群

芳夷洞古墳群(パンイドン)は、平地に作られた石村洞古墳群とは異なり、夢村土城に続く丘陵の頂上部付近にある。標高は30-50m。谷を挟んで西北群4基(1,2,3,6号)、東南群4基(7,8,9,10号)が残っているが、石村洞と異なりすべて封土の円墳で、大部分が横穴石室をもつ。

この墓制は高句麗が平壌に遷都したころから生じたもので、それが百済に伝わってきたと考えられる。また、墓域が丘陵地帯に移されるようになる。これらが公州時代に王陵にも採用され、百済の古墳の形式となる。

1号墳は直系12m、高さ2.2mの横穴式石室墳で、石室を見ることが出来る。石を上に行くに従い内側にせり出させ、頂上に大きな石を置くアーチ方の構造で、羨道に続く墓室は片側に作られる片袖式である。この形式は百済の古墳の石室の形式となる。なお、盗掘のため遺物は殆ど残されていなかった。

4号墳はアーチ型の天井の横穴式古墳で、自然釉薬のついた高坏等の土器や鉄製製品が出土した。また、6号墳から出土した高坏は典型的な新羅形式であって、新羅がこのあたりを支配したときに作られたのものか、百済と新羅の交易の結果のものと考えられている。このような新羅系の遺物は、他にも4号墳、5号墳からも出ている。

西北群はすべて横穴式石室であるが、東南群は竪穴式石槨墳と、横穴式石室墳が2基ずつ存在している。

なお、芳夷洞の他に近くには可楽洞(カラクトン)石築古墳群や、舎堂洞(サダンドン)百済後期の窯址などがあった。

1号墳 1号墳石室 石室構造(夢村歴史館)

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