宗家李家
ご結婚記念碑

長崎県歴史民俗資料館からほど近いところにある。宗武志氏と李王家徳恵姫との結婚記念碑である。徳恵(トッケ:덕혜)姫は朝鮮王朝の最後から2番目の皇帝、高宗(고종:コジョン)の娘で、女官の梁(양:ヤン)貴人間に生まれた。そのため称号は正妻との間に生まれた「公主(공주:コンジュ)」でなく「翁公(옹주:オンジュ)」である。

徳恵翁主は京城(ソウル)の日出小学校から東京の学習院に移ったが、在学中に精神的に不安定になってしまった。31年に宗氏との結婚が決まり、新婚の時に対馬へ来た。そのときに対馬に住む朝鮮人によって立てられた記念碑である。

徳恵翁主の精神状態の不安定状態は治ることなく、1955年両者は離婚した。その後ソウルの昌徳宮楽善齋李方子さんと一緒に暮らしたが、1989年に死去した。二人の間の娘、正恵さんも1956年、日本アルプスで行方不明になっている。

碑は道路拡張の時に倒されてそのままになっていたが、2001年に復元された。また、近くには1990年に復元された金石城の櫓門がある。厳原の城は最初から天守閣がなかったことで知られる(本土からの攻撃の可能性はほとんどないからである)。

竣工日 発起人 >寄進者(一部) 櫓門
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