万松院(2)

万松院の裏手の山は宗氏の墓所で、「御霊屋(おたまや)」と呼ばれる。
最も高いところに歴代藩主と夫人が祀られる上御霊屋。側室、童子が埋葬される「中御霊屋」、下段の、一族、初代の分家の墓からなる。上御霊屋までは「百雁木」と呼ばれる132段の階段で上がる。

最初にまつられた宗義智の墓は、佐賀の宗氏のものと形も変わらず、中世風の正方形の基檀に宝筺印塔が立つ形式である。墓の周囲の石塀や門もなく、墓石自体の規模もそれほど大きくないが、それ以降の、20代、21代は朝鮮貿易が好況で豊かになったため非常に立派である。

対馬藩は10万石格の藩であった。島内でそれだけの米はとれないので、佐賀県内の飛び地(ここの領主は家老格)と、朝鮮との貿易により凌いだ。墓所は宗氏の格を遙かに超えた大規模なもので、加賀の前田藩、仙台の伊達藩と並んで三大墓所に数え上げられる。

墓所の最も高いところに当主夫妻の墓所が、山の中腹には側室や子供の墓が並んでいる。なお、この墓所のさらに上には、山の尾根づたいに文禄慶長の役の時の対馬の山城、清水山城がある。

19代義智の墓 20代義成夫妻の墓
(柳川事件の時の当主)
21代義実夫妻の墓
(藩政確立中興の祖)

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