金田城

対馬にある朝鮮式山城である。663年、日本は百済復興を支援して出兵したが、白村江の戦いで新羅、唐連合軍に敗退してしまった。敗退後、新羅、唐の反撃を恐れて西日本を中心に山城を多く築いたが、金田城(カナタノキ)は667年に築かれたとされる。

城のある場所は浅芽(あそう)湾に飛び出した半島状の場所で、その中腹を土塁や石壁が囲うという高句麗に起源を持つ朝鮮式山城の作り方である。また、中の水を排水できるようにするために、水門なども合わせて作られている。最近の発掘で、建物の跡なども発見され、今後も新たなものが発見される可能性がある。

説明 水門の石壁 土塁

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